キャプテン・センシブル

赤いベレー帽がトレードマークって、手塚治虫か!

 3大パンク・バンドの中ではテクニックがあったばかりに影が薄くなってしまったダムドでベーシストとしてデビュー。再結成後はギター、キーボード、コンポーザーとして多彩さを見せつけ、ソロでは全英1位を獲得したこともある。つかみ所のないイカすパンクオヤジである。

 で、このオヤジにも若い時はあり、'76年にブライアン・ジェームス(Gt)、デイヴ・バニアン(Vo)、ラット・スキャビーズ(Ds)、そしてキャプテン(Bs)の平均年齢20.25歳の4人組ダムドを結成。結成から半年ほどでニック・ロウがプロデュースしたシングル「New Rose」でデビューする。B面はビートルズの「Help」のカヴァー。'77年、それまでシングルばかりリリースしていたパンク・バンドの中で1番最初にアルバム「Damned Damned Damned」をリリース。攻撃的なセックス・ピストルズや説教臭いクラッシュとも違う、人を喰ったような感じが格好良い。このアルバムではストゥージーズの「1970」を「I Feel Allright」としてカヴァーしている。当時のリーダーだったブライアンがルー(Gt)を強引に加入させ、ツイン・ギターとなり、同年ピンク・フロイドのニック・メイソンがプロデュースしたセカンド・アルバム「Music For Pleasure」をリリース。この頃からブライアン対キャプテン、ラットの対立が始まり、ラットは脱退。後にカルチャー・クラブで有名になるジョン・モス(Ds)が加入するものの、'78年に解散する。

Captain Sensible  ダムド解散後、ベースからギターにスイッチしたキャプテンはソフティーズに参加。シングル1枚のみで脱退。キングを結成するが、大した成果は収めていない。そして、ブライアンを除く3人が合流し、レス・パンクの名前で活動を始める。ベーシストと名前をコロコロと代えて、デイヴ・バニアン(Vo)、ラット・スキャビーズ(Ds)、アンジー・ワールド(Bs)、キャプテン(Gt、Ky)の4人でダムドは復活をする。'79年、MC5のカヴァー「Looking At You」を含むアルバム「Macine Gun Etiquette」をリリース。このアルバムからシングル・カットされた「I Just Can't Be Happy Today」のB面はアルバム未収録でスイートのカヴァー「Ballroom Blitz」。この曲ではモーター・ヘッドのレミーがベースを弾いている。キャプテンがイニシアチブを取った新生ダムドはメロディアスでポップなハード・ロックにその姿を変える。'80年、ベースをポール・グレイに代えてシングルでジェファーソン・エアプレインのカヴァー「White Rabbit」をリリース。そして、傑作の誉れ高い2枚組「The Black Album」をリリースする。アナログ盤ではA〜C面がスタジオ・レコーディング、D面がアンジー・ワールド在籍時のライヴを収録した変則的な物。このアルバムのリリース後、契約問題や各メンバーのソロ活動でダムドは1年ほど休止する。

 '82年の年明け早々、ソロ・シングル「Happy Talk」が全英1位を獲得。勢いに乗ってファースト・ソロ・アルバム「Woman And Captains Farst」をリリース。また、ラットと共にオムニバス・アルバム「Wargasm」に参加。「Hey Joe」をプレイしている。活動を再開したダムドはキーボードにローマン・ジャッジを向かい入れ「Strawberries」をリリース。このアルバムを最後にポール・グレイはクビになる。この年あたりからレコード会社ビッグ・ビートが再発、再編集のシングル6枚とアルバム4枚をリリースし始める。リリースされたものは、全て嫌がらせのようにオリジナルとはどこかしら違い、例えば「The Black Album」は1枚に纏められて数種類のジャケットでリリースされ、アナログ盤D面のライヴは未発表の4曲を加えて「Live Shepperton 1980」としてリリースされた。この滅茶苦茶なリリースに対してメンバーは契約の問題から止める権利が無かった。そんな滅茶苦茶な時期にブライアン・メリック(Bs)が加入し、ナズ・ノマッド・アンド・ザ・ナイトメアーズの名義で「Give Daddy The Knife Cindy」をリリース。メンバーの名前もナズ・ノマッド(デイヴ)、スフィンクス・セブソン(キャプテン)、ニック・デトロイト(ラット)、ブディ・リー・ジュニア(ブライアン)、アルラ(ローマン)と変えて、サイケデリック・ロックをやりたおしている。

 '83年セカンド・ソロアルバム「The For The Night」をリリース。'84年、ソロでやっていけると睨んだのか、キャプテンはダムドを脱退する。キャプテン脱退後のダムドはパッとしないまま、'88年に2度目の解散をする。この時のライヴを収録した「Final Damnation」のアナログ盤では、A面はブライアン・ジェームスがギター(キャプテンは当然ベース)、B面はキャプテンがギターで在籍時の曲を演奏している。最後にローリング・ストーンズの「Last Time」をカヴァーしているが、この後ファンでも分からないほど再結成と解散を繰り返す事を考えると皮肉な選曲だ。

 と、ここ迄が私の知っているキャプテン。これ以外で知っていることは、現在まで上記のアルバム以外にベスト盤を含む10数枚のソロ・アルバムをリリースしているのと、'99年にラット抜きのダムドでアメリカ・ツアーをしている事くらいだ。何度となく繰り返されている再結成に一々参加しているかは不明。

 ダムド時代によくメタリックと表現されているギターのトーンだが、ヘヴィ・メタルっぽいというよりも金属的といった意味で使われていたと思う。やはりヘヴィ・メタルとは懸け離れたパンク、ニューウェーヴ系のものだ。バッキングは凝ったところもなく究めてオーソドックスだが、所々に意外と小技を入れていたりする。ソロは口ずさめるほどシンプルでメロディアスなものが多く、実際の音数よりもスピーディーな印象がある。

 昔、雑誌のインタヴューでキャプテンが「Cubase」というシーケンス・ソフトをギタリスト向きと語っていたのを読んだ極東のチンピラは、数年後パソコンと一緒にそのソフトを購入し、現在も使っている。めでたしめでたし。

 しかし、ダムドってカヴァーの多いバンドだな。

 初期の写真を使ったから「ベレー帽はどこだ」というクレームはナシね。

 

-Back-