オリー・ハルソール

器用貧乏な左利き

 主役には大概、良い相棒が居る。ルパン三世に次元大介、ルーク・スカイウォーカーにハン・ソロ、テリー伊藤にうえやなぎまさひこ。良い相棒が居てこその主役なのかもしれない。セッション・ミュージシャンとして様々なミュージシャンのレコーディングやライヴに関わり、結局ケヴィン・エアーズの無くてはならない相棒になった。

 で、この器用貧乏な左利きのケチの付き始めは、'68年のタイム・ボックス加入から始まる。タイム・ボックスはシングル数枚をリリースして解散。タイム・ボックスからの流れでクライヴ・グリフィス(Bs)、ジョン・ハルセイ(Ds)、ハルソール(Gt,Ky)の3人にマイク・パトゥ(Vo)を加えてパトゥを結成。'70年に「Patto」でデビュー。'71年「Hold Your Fire」、'72年「Roll'em Smoke'em Put Another Line Out」をリリースして成功とは程遠い活動を終える。パトゥ解散後、ポール・ウィリアムス(Vo)の誘いでテンペストのセッションに参加をするが、結局テンペストは、ポール・ウィリアムス、超絶馬鹿テク我が儘オヤジのアラン・ホールズワース(Gt,Violin)、ジョン・ハインズマン(Ds)、マーク・クラーク(Bs)の4人で活動する。ウィリアムスとホールズワースの抜けたテンペストに改めて参加をし、前作「Tmpest」のダークな内容とはまるっきり違う明るいハード・ロック・アルバム「Living In Fear」を'74年にリリースする。このアルバムでハルソールがヴォーカルを担当しているビートルズのカヴァー「Paperback Write」はハードにドライヴしていて格好良い。悲しいかなこのテンペストも短命に終わる。再びマイク・パトゥと合流して、トニー・ニューマン(Ds)、キース・エリス(Bs)の2人を加えてボクサーを結成。'75年「Below The Belt」をリリース。イギリス盤のジャケットは、大の字になった裸の女性の写真だったが、アメリカ盤では育ちの悪そうなオッサン4人の写真に差し替えられている。'76年「Bloodletting」のリリース後、脱退。書いていても悲しくなるほどの地味なバンド・メンバーとしてのキャリアは終わる。

Ollie Halsall '74年、元ソフト・マシーンの気紛れオヤジ、ケヴィン・エアーズの「The Confiessions Of Doctor Dream」にマイク・オールドフィールド(Gt)らと参加。この時にエアーズとの運命的な出会いを果たし、生涯活動を共にする事になる。ケヴィン・エアーズ、ジョン・ケイル、イーノ、ニコの連名でリリースれた豪華な(?)出演者のライヴ・アルバム「June 1,1974」をリリース。'75年「Sweet Deceiver」、'76年「Yes We Have No Mananas」、'78年「Rainbow Takeaway」とポップでナイスなアルバムをリリース。'80年「That's Whant You Get Babe」をリリースした頃にケヴィン・エアーズはスペインのマジョルカ島に移住する。それを追うようにしてハルソールもスペインのマドリッドに移住。'82年「Diamond Jack And The Queen Of Pain」、'84年スペインのみでリリースされた「DejaVu」、'86年、1曲ヴォーカルまで担当してフューチャリング・オリー・ハルソールとクレジットされている「As Close As You Think」をリリース。やる気が有るんだかな無いんだか分からない活動をしている。'88年「Falling Up」をリリース。この年、ついに来日を果たす。12月20,21日、九段会館でのライヴは私は見ていない。だって、当時知らなかったんだもん。エアーズもハルソールも....。'92年にアンプラグド・ブームに乗っかろうとしたような「Still Life With Guitar」をリリース。この年の5月29日 、ドラッグによる心臓麻痺で死亡。4年ぶりの来日の前の週の事であった。

 バンドだけでは喰っていけないのか、早い時期からセッション活動に精を出す。'73年から'76年までグリムスに参加。'78年デヴィッド・キュービネックのソロ・アルバム「Something Never Change」では、クリス・スペディング(Gt)、ジミー・ベイン(Bs)、ジョン・ケイル(Ky)などの豪華な(?)メンバーと共に参加。この年、イギリス国営放送制作のビートルズのパロディ・ドラマ「ラトルズ」のサウンドトラック「The Rutles」に参加。このドラマはビートルズの結成から解散までをパロディにしただけでなく、曲、音、演奏の全てがそっくりに制作されている。'96年にはビートルズの「Anthology」に合わせるようにして3人で再結成されたラトルズで「Archaeology」をリリース。このアルバムがハルソールの生前最後の音源となった。その他、ニール・イニス、アレクシス・コーナー、スキャフォルド等、結構な数のミュージシャンのアルバムに参加している。また、スペイン移住後は、プロデューサーとして活躍していた。

 驚異的なテクニックが有るにも関わらず、テクニカルなギタリストにありがちな「ギターのための楽曲」という考えとは対局にあるプレイをする。曲に会わせたトーンとバッキングは個性的とは言い難いし、ソロにしてもテクニックをひけらかす様なものはない。しかし、時折聴かせるトレモロ・アームを使ってグニュグニュグニャグニャと音程を変えて、それでいて何故かメロディアスなソロは、聴いただけでハルソールと判るくらい個性的なものだ。

 強烈な個性と驚異的なテクニックがあるにも関わらず、そのテクニックが災いしてかセッション・ミュージシャンとして重宝された、ある意味不幸なギタリストである。

 

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