フィル・マンザネラ

騒がないラテンの血

 ロキシー・ミュージックでデビュー以来、適当にヒットも出したりしているのに、アンダーグラウンドな人達のアルバムには必ず名前を連ねていたりする。革命直後までキューバで育ったのに熱くない。そんな不思議なヒゲオヤジだ。

 で、このヒゲオヤジは、'72年にグラム・ロック・ムーヴメントのまっただ中のイギリスで(本当か?)、その内ジャケットの写真は反則だろうの「Roxy Music」でデビュー。ロキシー・ミュージックのオリジナル・メンバーはブライアン・フェリー(Vo、Ky)、ブライアン・イーノ(Syn この偏屈はWin95が立ち上がった時の音を作っている)、リック・ケントン(Bs)、アンディ・マッケイ(Sax、Oboe)、ポール・トンプソン(Ds)、フィル・マンザネラ(Gt)の6人。しかし大所帯だな。オーボエまで居るよ。この後、コロコロとメンバーチェンジをするけど、読み難くなるので書かない。自分で調べてね。で、グラム・ロックと言ってもT-REXやニューヨーク・ドールズの様にブギーやロックンロールはやってません。拈りまくってます。この頃からフェリーは軽薄な歌いっぷりで、イーノはノイズ出しまくってます。'73年「For Your Presure」、「Stranded」をリリース。'74年に女性とオカマのヘア・ヌードのジャケットが問題になった「Country Life」、'75年に「Siren」をリリースして活動を休止する。'76年、活動休止中に初のライヴ・アルバム「ViVa!」をリリース。年代も収録場所もバラバラなこのアルバムには、ジョン・ウェットン(Bs)の名前がクレジットされている。パンク・ムーヴメントが落ち着いた頃の'79年、「Manifesto」で活動再開。何故かベーシストが2人の7人所帯になっている。'80年「Flesh And Blood」、'82年にジャケットに初めて女性の写真を使っていない「Avalon」をリリースして、モダン・ポップ等と言われた変てこりんなバンドは解散する。

Phill Manzanera ソロ活動はロキシー・ミュージック活動休止中の'75年に「Diamond Head」とロキシー・ミュージック加入前に在籍していたクワイエット・サンを再編成して「Mainstream」をリリース。'76年にクワイエット・サンを発展させた801で行ったライヴを収録した「Live」を、翌'77年には、ちょっと不気味なジャケットの801のスタジオ・レコーディング・アルバム「Listen Now!」をリリース。この2枚のアルバムでビートルズの「Tomorrow Never Knows」を傑作と言って良いほどグレイトなアレンジでカヴァーしている。'78年「K-Scope」をリリース。ロキシー・ミュージック解散後、'82年に今聴くと安っぽい打ち込みの「Primitive Guitar」、'85年にザ・エクスプローラーズ名義で「Explorers」、'87年にジョン・ウェットンと「Wetton Manzanera」、'88年にはアンディ・マッケイと「The Wested Land」をそれぞれリリース。余り一般受けしそうもない内容のアルバムを次々とリリースしてきたが、'90年にリリースされた「Southern Cross」は、ポップなラテン・ミュージックをやっている。このアルバムからシングル・カットされたカヴァー曲「Guantanamera」がヒット。勢いに乗って'92年には、スペインのセヴィリア万博で行われた出演者が滅茶苦茶豪華なイベント「Guitar Legends」で、ミュージック・ディレクターを兼ねながら、ジャック・ブルース、ジョー・コッカー、ボブ・ディランと共演する。キース・リチャーズ、ロバート・クレイ、スティーヴ・クロッパー、デイヴ・エドモンズとの最後のセッションは素敵です。このイベント以降、日本では目立った話を聞かなくなる。私はとても寂しい。

 そんなに目立つタイプではないし、テクニカルなギタリストでもない。しかし、アンサンブルの中で活きるギターを弾き、伸びやかで流麗なメロディ、ノイジーで実験的なフレーズ、昔から一貫したギターのトーンは、聴いただけでマンザネラだと分かる。どんなにロックの定番フレーズを弾いてもどこか無機質で淡々としている。一歩引いたところからギターを弾いている、そんな印象だ。

 ブライアン・イーノ、ジョン・ケイル、ニコといったアンダーグラウンドの大スター達のアルバムに参加もすれば、ブライアン・フェリーのようなポップ・スターのアルバムにも参加する。節操がないと言えば節操のないイカすヒゲオヤジである。

 

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