アンディ・マッコイ

北の国から....

 スウェーデン出身のジプシー。ハノイ・ロックス結成以前、未だ10代の頃にフィンランドでゴールド・ディスクを数枚獲得していた。そんな嘘臭い話もあるが、ギター・ヒーローと言っても過言ではないくらいステージでの存在感と格好良さは本物だ。

 アンディ・マッコイ(Gt)を中心にナスティ・スーサイド(Gt)、マイケル・モンロー(Vo,Hp,Sax)、サム・ヤッファ(Bs)、ジップ・カジノ(Ds)の20歳そこそこの5人でアンディ・マッコイズ・ハノイ・ロックスとして、'80年に活動を開始する。バンド名をハノイ・ロックスと改名し、シングル「I Want You」でデビュー。'81年アルバム「Bangkok Shocks Saigon Shakes」をリリースする。'82年「Oriental Beat」をリリース後、ジップ・カジノが脱退。代わりにイギリス人のラズル(Ds)が加入し、当初フィンランドとスウェーデンでのみの限定盤としてリリースされた未発表編集盤「Self Destruction Blues」をリリース。このアルバムのジャケットにはラズルの写真が使用されているが、実際はジップ・カジノがプレイしている。また、この年の暮れにバンドは活動の拠点をフィンランドからイギリスに移す。'83年、初のイギリス・レコーディングとなった「Back To Mystery City」をリリース。この年の1月に初来日をし、夏にはイギリスのプー太郎が大量にやってくるレディング・フェスティバルに出演する。'84年、初のライヴ・アルバム「All Those Wasted Years」をリリース。このアルバムは'83年12月のマーキーでのライヴを収録し、どう聴いてもジョニー・サンダース・ヴァージョンの「Pipeline」から始まり、ストゥージーズと言うよりもダムドの「I Feel Alright」、サビに来るまで誰の曲か気が付かないほどぶち壊したヤードバーズの「Train Kept A Rollin'」、アリス・クーパーの「Under My Wheels」と好き勝手にカヴァーしている。また、同じタイトルでリリースされたビデオではアンコールでラズルがラモーンズの「BlitzClik Bop」を歌っている。この年の5月に再来日をする。そして、アメリカでのメジャー・デビュー作となる「Tow Step From The Move」をリリース。このアルバムには1stアルバムに収録されていた「Don't Never Leave Me」のリメイク「Don't You Ever Leave Me」とC.C.Rのカヴァー「Up Around The Bend」を収録している。この頃、ヨーロッパと日本では人気を誇っていたのだが、アメリカではアルバムをまともにリリースしていない無名の存在だった。初のアメリカ・ツアー中の12月8日、パーティーで意気投合したモトリー・クルーのヴィンス・ニールとラズルは泥酔状態にも関わらず、ヴィンスの運転する車で煙草を買いに行くが、衝突事故を起こし、対向車に乗っていた2人と同乗したラズルが死亡する。この事故によってアメリカ・ツアーは中止となり、後年ヴィンス・ニールは服役する。'85年に元クラッシュのテリー・チャイムス(Ds)が加入し数回のライヴをこなすものの、サム・ヤッファが脱退する。背景にはラズルの死を宣伝材料として使おうとしたマネージャーとバンドの確執やメンバー同士の不仲(特にマイケル・モンローとアンディ・マッコイ)などが原因といわれていた。新たにベーシストを加入させるもののハノイ・ロックスは崩壊する。

Andy McCoy  ハノイ・ロックス解散後、アンディ、ナスティ、テリーの3人にアニタ・シェラマー(Vo)、アンディ・マッコイのギター・ローディだったティモ・コルティオ(Bs)の2人を加えてチェリー・ボムズを結成。'86年、ベーシストを元ロード・オブ・ニューチャーチのデイヴ・トレグナに変えて、ラヴァー・ボーイズの「Hot Girl In Love」、ハノイ・ロックスの「Oil&Gasoline」を収録した12インチ・シングル「The Cherry Bombz」でデビュー。間を置かずに2枚目の12インチ・シングル「House Of Ecstacy」をリリースする。 そして、ロンドンのマーキーでのライヴを収録した初のフル・アルバム「Coming Down Slow」をリリース。このアルバムではリンク・レイの 「Gimme Good Loving」、最後にアンディが歌うC.C.Rの「Travellin' Band」のカヴァーを含め、ハノイ・ロックス、スーサイド・ツインズの曲も演奏している。この年、アンディ・マッコイが結婚。この事にショックを受けたアニタ・シェラマーが脱退する(要するにフラれたわけだ)。また、結婚を機にアンディは極度のヘロイン中毒の治療のために長期入院をすることとなり、バンドは解散する。チェリー・ボムズ解散前に活動の合間を縫って、この時期だけ改名していたナスティ・スーパースターとスーサイド・ツインズとしてアンプラグド・ブームの先駆けとなる「Silver Missiles And Nightingales」をリリースする。ハノイ・ロックス・ファンのガンズ・アンド・ローゼズがこのアルバムの影響を受けてアンプラグド・アルバムをリリースしたのは容易に想像が付く。  

 '88年、この頃にはL.A.に移住し、ソロ・アルバム「Too Much Ain't Enough」をリリースする。この年、イギー・ポップの「Instinct」ツアーに元セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズの代わりに参加。3度目の来日をする。このツアーの時に演奏された「1970(I Feel Alright)」は面白いことにハノイ・ロックス・ヴァージョンだった。

 その後の活動に関しては、ソロ・アルバムを2〜3枚リリースしているらしいのだが、詳しくは知らない。だって音楽雑誌を殆ど買わないから全然情報が入ってこないんだ。

 その曲を印象付けるシンプルなリフ、個性的とは言えないがロックン・ロールをベースとしたソロ、小技の少ないバッキング、飾り気のないストレートなトーン。どれをとっても格好良い。コンポーザーとしてもキャッチーで比較的メロディアスな曲はハードにドライヴしてパンキッシュで好きです。他のミュージシャンとの違いを考えた時、それがアメリカやイギリスのバンドに憧れ、最後まで抜けきらなかった北欧の田舎臭さなのかもしれない。

 数年前に流行った小鼻にピアスはこの人が元祖です。

 

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