ジョン・マッギーオック

名前の表記はいつも別人

 以前インタヴューで同じイギリス人でも名字を正確に読める人は少ないと語っていた。そんな難しい名前を日本人に読めという方が無理な話だ。「マギオク」「マクゴーチ」「マクガフ」等の統一性のない表記でレコードのライナー・ノートやライヴのパンフレット、雑誌等に載っていたために日本では長い間それぞれ別人と思われていた。ニュー・ウェーヴ・シーンを代表するギタリストの1人と言っても過言ではないだろう。

 パンクがニュー・ウェーヴと言われ始めた '78年、元バズコックスのハワード・デヴォート(Vo)を中心に結成されたマガジンからそのキャリアは始まる。デヴォート以外のメンバーは、ボブ・ディッキンソン(Ky)、バリー・アンダーソン(Bs)、マーチン・ジャクソン(Ds)、ジョン・マッギーオック(Gt)。シングル「Shot By Both Sides」でデビューする。 同年、キーボードをデヴィッド・フォーミュラに代えて 『Real Life』をリリース。ドラムをポール・スペンサーに変えてツアーに出るものの '79年にリリースされた『Secondhand Daylight』ではジョン・ドイルがドラムを叩いている。 '80年『The Correct Use Of Soap』をリリース後、マガジンから脱退。脱退から13年後の'93年、マッギーオック在籍時にBBCに出演した時のライヴを収録した『BBC Radio 1 Live』がリリースされている。 マガジン脱退後、元セックス・ピストルズの親衛隊だったスージー・スー率いるスージー&ザ・バンシーズに参加。'80年『Kaliedoscope』 '81年『JuJu』とリリースし、 '82年の『Kiss In The Dream House』を最後に脱退する。

John McGeoch スージー&ザ・バンシーズ加入直後からセッション活動を始め、'80年にヴィサージュ、'81年にはビリー・アイドルのいたジェネレーションXとケン・ロックドのレコーディングに参加。また、ザ・レジェンズの名前で'84年から'85年までジ・アーモリー・ショーに在籍。『Waiting for the Floods』がリリースされている。'85年、ピーター・マーフィーの『Should The World Fail To Fall』、'86年マシュー・スイートの『Sweet』にも参加している。

 '86年、ビル・ラズウェルのプロデュースでジンジャー・ベイカー(Ds)、トニー・ウィリアムス(Ds)、スティーヴ・ヴァイ(Gt)、坂本龍一(Ky)ら豪華ゲストが参加をして話題になった『Album』(CDのタイトルは『Compact Disk』)をリリースした、元セックス・ピストルズのジョン・ライドン率いるPILのツアー・メンバーとして、アラン・ダイアス(Bs)、ルー・エドモンズ(Gt、Ky)、ブルース・スミス(Ds)らと参加。 このメンバーで新生PILとしての活動が始まる。'87年、『Album』を発展させ、よりファンキーにした内容の『Happy?』をリリース。皮肉なことに数年後、このアルバムに収録されている「The Body」がピストルズ時代にジョン・ライドンが散々攻撃をしていたミック・ジャガー出演の映画「ボディ・ジャック」のC.M.で使われた。この年の12月にPILとしては3度目、マッギーオックとしては初めての来日をする。この時の渋谷公会堂での来日公演を見ているのだが、新旧織り交ぜた選曲で楽しそうに歌っているジョン・ライドンが印象的だった。ツアー終了後、ルー・エドモンズ(Gt、Ky)が脱退し、4人組となる。'89年、『9』をリリース。ブルース・スミスが抜けて3人組となるものの、'92年タイトルとジャケットが意味深な『That What Is Not』をリリースする。そして、'96年にジョン・ライドンが「金のため」と言い放ち、セックス・ピストルズ再結成に参加。PILの活動は休止となる。

PILの活動休止後に何をやっているかは知らない。

 パワー・コードは勿論、ファンキーなカッティングやエフェクティブなアルペジオ、曲のテーマとなるリフ等の多彩なバッキングの中でもメロディに対するカウンター的な単音リフは、口ずさめるほど単純で曲全体をポップな印象にしている。その多彩なバッキングを彩るトーンは比較的エフェクティブなのだが、曲によっては時代遅れで口が裂けても格好良いとは言えない音を出していることもある。そのダサいトーンを選ぶところが、個性的と言ってしまえばそれまでのような気がする。ソロはいわゆるギターヒーロー的なものはなく、ヴォーカルラインを崩した感じのものが多い。

 初来日と2度目の来日とでは別人かと思うほどの太りように笑ったな。

 

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