鮎川 誠

顔も長けりゃ息も長い

 昨日までスターが明日には忘れられている。そんな音楽業界という過酷な世界で、大したヒット曲もないのにも関わらず、20年以上も第1線で活躍し続けるこのミュージシャンには、それだけ人を引き付ける音楽的才能と人間的魅力があるのだろう。

【SunHouse】
サンハウスは、菊こと柴山俊之(Vo)、篠山哲雄(Gt)、鮎川誠(Gt)を中心に後藤龍一(Bs)と石岡賢一(Ds)を加えて'70年に結成される。「ブルースの神様にギターを教えた男」として名高いエディ・サン・ハウスから命名。このバンド名を決めた時、鮎川はサン・ハウスを聴いたことがなかったという。結成後、しばらく流動的だったベーシストは、結成当初手伝っていた奈良敏博(Bs)に落ち着き、脱退した石岡賢一の代わりに鬼平こと坂田紳一(Ds)を迎えて、'75年、当時としては今ほど手軽でなかった自主制作でシングル「地獄へドライブ」をリリースする。

このシングルリリースから数ヶ月後、10曲中6曲が放送禁止となったといわれている『有頂天』でメジャー・デビュー。当時1万枚のセールを記録した。このアルバムには、いまだにシーナ&ザ・ロケッツで演奏している「レモンティー」やエロ本でよく取り上げられていた「ミルクのみ人形」を収録している。菊の書くダブル・ミーニング的な歌詞、選び抜いたと思われる言葉は、いま聴いても古さを感じさせない。また、洋楽に日本語の歌詞をのせて、さも自分たちのオリジナルのように演奏する厚かましさは、アナーキーやザ・ルースターズがファースト・アルバムで継承している。

'76年、ファースト・アルバムのロックン・ロール一辺倒から音楽性を広げたセカンド・アルバム『仁輪加』をリリース。このアルバムを最後に篠山哲雄(Gt)が脱退し、4人編成となる。

'77年には奈良敏博(Bs)と鬼平(Ds)が脱退。新たに板東よしひで(Gt)、浅田孟(Bs)、川嶋一秀(Ds)を迎えて新生サンハウスとして活動を始めるが、'78年、篠山哲雄在籍時のライヴを収録し、何故かジャケットの写真は4人編成時のものを使用した『ドライヴ』がリリースされた日にサンハウスは解散をする。

'80年に突如、未発表集『ストリート・ノイズ』がリリースされる。このアルバムには映画「爆裂都市」の挿入歌「カラカラ」やライヴで欠かすことのできない「i love you」、それに「すけこまし」を改題した「恋をしようよ」が収録されている。リリース当時は10インチLPとして発売された。

解散から5年たった'83年9月23日、A.R.B、ルースターズという豪華な前座をj迎えて「クレイジー・ダイアモンズ〜サンハウスをぶっちこわせ」というタイトルの再結成ライブが日比谷野外音楽堂でおこなわれた。ただし、メンバーどの時期にもあてはまらないは菊(Vo)、鮎川誠(Gt)、奈良敏博(Bs)、石岡賢一(Ds)という編成。また、この時のライヴは「Crazy Diamonds」としてリリースをされ、3曲の未発表(新曲?)と「ナマズの歌」のリ・アレンジが収録されている。

'98年、今までリリースされたオリジナル・アルバムとシングルに加え、完全な未発表曲「ねずみ小僧」や初期サンハウスの映像を納めたビデオという非常にうれしいオマケ付きのボックスセットがリリースされる。このボックスセットの発売に合わせるようにして前回の再結成から15年後、サンハウスはオリジナル・メンバーでの再結成をする。この伝説が現実として現われたのを新宿で観ている。当時、とっくに50歳を過ぎには思えないほどのパワフルで、キャリアに裏打ちされれた余裕の演奏は、20代のガキをノック・アウトするには十分過ぎるほどのライブだった。またこの再結成の博多でのライブを収録したCDとビデオがすっかり忘れた頃の'00年にリリースされた。

【Sheena & the Rokkets】
サンハウス解散後、鮎川は浅田孟(Bs)、川嶋一秀(Ds)らとソロ・アルバムのレコーディングを開始する。このソロアルバムがどういう訳か、シーナ&ザ・ロケッツとしてのデビューアルバムとなり、'79年にファースト・アルバム「#1」としてリリースされる。また、前年のPITでのY.M.Oのライブに参加したのをきっかけに細野晴臣プロデュース、坂本龍一、高橋幸広が参加をした「真空パック」をリリースしている。

と、ここまで書いていてなんだが、私はシーナ&ザ・ロケッツのことはよく知らないので端折って書こうと思う。

'84年、産休中のシーナ抜きのザ・ロケッツ名義で「ROKKET SIZE」をリリース。ヴォーカルは全て鮎川誠がとっている。'86年にムーンライダースの白井良明(Gt,Ky)と元村八分の山口富士夫(Gt,Vo,Harp)が参加をして話題となった「GATHERED」とゲストに山口富士夫と野島健太郎(Ky)を迎えて渋谷ライブ・インと名古屋市民会館でのライヴを収録した、初のライヴアルバム「CAPTAIN GUITAR AND BABY ROCK」をリリース。'87年「#9」を最後に浅田孟(Bs)が脱退。翌'88年の「HAPPY HOUSE」では奈良敏博(Bs) が加入するが、'89年に「DREAM & REVOLT」で川嶋一秀(Ds)と共に脱退してしまう。その後、メンバーチェンジを繰り返し、'00年にリリースされた「ROCK THE ROCK」では川嶋一秀(Ds)が復帰している。

そして2002年1月現在、幾多のメンバーチェンジがあったものの、未だに解散もせずに活動中。ヘタをすると日本で最も息の長いロック・バンドになっている気がする。

【Solo】
'82年にメイン・ヴォーカルがシーナじゃないだけでシーナ&ザ・ロケッツと変わりのないメンバーで録音された「KOOL SOLO」をリリース。全9曲中5曲がサンハウスのナンバー。'93年、元ドクター・フィールグッドのウィルコ・ジョンソンをゲストに迎え、ロンドンくんだりまで行ってレコーディングをしたそのまんまのタイトルの「LONDON SESSION #1」「LONDON SESSION #2」をリリースしている。

【Other】
'88年の夏、TBSの「東芝日曜劇場」の「男達のフツーの週末」というドラマ出演。準主役として風間杜夫と共演したのをきっかけに、何本かのドラマに出演している。 '00年のNHK朝のテレビ小説「ちゅらさん」にまで出演している。また、ジャノメのミシンのC.M.に娘2人と出演したり、ドキュメンタリー番組のナレーションをしたりと幅広く活動をしている

【Guitar】
艶やかで伸びのあるギター・トーンは多分どんなギターで弾いても同じ音になってしまうのだろう。また、ワン・アンド・オンリーっぽいプレイスタイルも実際は思った以上に多彩な面があり、ブルース、ロックン・ロール、カントリー、パンクと様々なジャンルの音楽を吸収しつつも、結局「100%鮎川誠」になってしまっている。また、たぶん日本で1番有名なレス・ポール使いとも言える。

【Epilogue】
この人のインタビューを読んだり見たりするたびに、この世には「ギタリスト 鮎川誠」は存在せず、永遠に音楽とギターを愛してやまない「ギター小僧 鮎川誠」が居つづけるような気がする。

私が音楽をやっているのにDOS/Vマシンを使っているのは、この人の著書「DOS/Vブルース」を読んだのと立川談志師匠がC.Mに出演していたのが原因です。

 

-Back-