鮎川 誠
顔も長けりゃ息も長い
昨日までスターが明日には忘れられている。そんな音楽業界という過酷な世界で、大したヒット曲もないのにも関わらず、20年以上も第1線で活躍し続けるこのミュージシャンには、それだけ人を引き付ける音楽的才能と人間的魅力があるのだろう。 【SunHouse】 このシングルリリースから数ヶ月後、10曲中6曲が放送禁止となったといわれている『有頂天』でメジャー・デビュー。当時1万枚のセールを記録した。このアルバムには、いまだにシーナ&ザ・ロケッツで演奏している「レモンティー」やエロ本でよく取り上げられていた「ミルクのみ人形」を収録している。菊の書くダブル・ミーニング的な歌詞、選び抜いたと思われる言葉は、いま聴いても古さを感じさせない。また、洋楽に日本語の歌詞をのせて、さも自分たちのオリジナルのように演奏する厚かましさは、アナーキーやザ・ルースターズがファースト・アルバムで継承している。 '76年、ファースト・アルバムのロックン・ロール一辺倒から音楽性を広げたセカンド・アルバム『仁輪加』をリリース。このアルバムを最後に篠山哲雄(Gt)が脱退し、4人編成となる。 '77年には奈良敏博(Bs)と鬼平(Ds)が脱退。新たに板東よしひで(Gt)、浅田孟(Bs)、川嶋一秀(Ds)を迎えて新生サンハウスとして活動を始めるが、'78年、篠山哲雄在籍時のライヴを収録し、何故かジャケットの写真は4人編成時のものを使用した『ドライヴ』がリリースされた日にサンハウスは解散をする。 '80年に突如、未発表集『ストリート・ノイズ』がリリースされる。このアルバムには映画「爆裂都市」の挿入歌「カラカラ」やライヴで欠かすことのできない「i love you」、それに「すけこまし」を改題した「恋をしようよ」が収録されている。リリース当時は10インチLPとして発売された。 解散から5年たった'83年9月23日、A.R.B、ルースターズという豪華な前座をj迎えて「クレイジー・ダイアモンズ〜サンハウスをぶっちこわせ」というタイトルの再結成ライブが日比谷野外音楽堂でおこなわれた。ただし、メンバーどの時期にもあてはまらないは菊(Vo)、鮎川誠(Gt)、奈良敏博(Bs)、石岡賢一(Ds)という編成。また、この時のライヴは「Crazy
Diamonds」としてリリースをされ、3曲の未発表(新曲?)と「ナマズの歌」のリ・アレンジが収録されている。 【Sheena & the Rokkets】 と、ここまで書いていてなんだが、私はシーナ&ザ・ロケッツのことはよく知らないので端折って書こうと思う。 '84年、産休中のシーナ抜きのザ・ロケッツ名義で「ROKKET SIZE」をリリース。ヴォーカルは全て鮎川誠がとっている。'86年にムーンライダースの白井良明(Gt,Ky)と元村八分の山口富士夫(Gt,Vo,Harp)が参加をして話題となった「GATHERED」とゲストに山口富士夫と野島健太郎(Ky)を迎えて渋谷ライブ・インと名古屋市民会館でのライヴを収録した、初のライヴアルバム「CAPTAIN
GUITAR AND BABY ROCK」をリリース。'87年「#9」を最後に浅田孟(Bs)が脱退。翌'88年の「HAPPY HOUSE」では奈良敏博(Bs)
が加入するが、'89年に「DREAM & REVOLT」で川嶋一秀(Ds)と共に脱退してしまう。その後、メンバーチェンジを繰り返し、'00年にリリースされた「ROCK
THE ROCK」では川嶋一秀(Ds)が復帰している。 【Solo】 【Other】 【Guitar】 【Epilogue】 私が音楽をやっているのにDOS/Vマシンを使っているのは、この人の著書「DOS/Vブルース」を読んだのと立川談志師匠がC.Mに出演していたのが原因です。 |