シド・バレット
20世紀の精神異常者
以前、筋肉少女帯の大槻ケンヂはミュージシャンに対して「死ねば伝説、狂えばカリスマ」と言っていた。シド・バレットはまさにその言葉通りに「狂ってカリスマ」となり、ミュ−ジック・シーンから引退したことで「生きながら伝説」となった。初期ピンク・フロイドの中心人物である。 ピンク・フロイドは'65年にシド・バレット(Gt,Vo)、ロジャー・ウォーターズ(Bs,Vo)、リック・ライト(Ky)、ニック・メイスン(Ds)の4人で結成される。当時、イギリスのサイケデリック・シーンで中心的なライヴ・ハウス「UFOクラブ」にソフト・マシーンと一緒に出演していた。凝ったライティングのライヴをしており、「物凄いバンドが居る」と評判が評判を呼び、'67年『The Piper At The Gates Of Dawn』でデビューする。このアルバムの日本盤には、シングルでのみリリースされたヒット曲「See Emily Play 」(邦題「エミリーはプレイガール」)を収録している。シドは段々とドラッグとアルコールに溺れ、デイヴ・ギルモア(Gt,Vo)の加入によって、バンド内での居場所を失い完全に邪魔者と成っていた。出演するライヴにも連れて行かれず、置き去りにされたりといったロジャー・ウォーターズらのイジメもあり、'68年にリリースされたセカンド・アルバム『A Saucerful Of Secret』のレコーディングの途中にドラッグによる神経衰弱で脱退する。このアルバムでは「Remember A Day 」「Corporal Clegg」 「Jugband Blues 」の3曲のみに参加している。
ミュージック・シーンから完全に身を引いた後、噂では母親と暮らし、地下室で絵を描いて過ごして居たという。母親が亡くなった現在は、精神病院に入院しているという話だ。また、重度の糖尿によって目は殆ど見えなくなり、ピンク・フロイドのメンバーが、ときたま見舞いに訪れると精神状態が物凄く不安定になると言われている。もしかしたら本人の繊細さが取り返しのつかない所まで自らを追い込んだのかもしれない。 プレイは「ヘタウマ」や「センス一発」といった言葉がよく似合い、アイディア勝負といったものが多く、ヴォーカリストの弾くギターと言った感じに近い。 ギターのトーンはストレートでこう言ってなんだが、ヘロヘロで格好良いとは言い難い。また、アコースティック・ギターの音も結構情けなかったりするのだが、妙な魅力がある。 バンド内で居場所を失いドラッグに溺れ、孤独と傷心のうちに溺死してしまったブライアン・ジョーンズの様に「死」という安住の地を得られず、ドラッグによって強度の精神衰弱に陥り、精神病院に入院。退院後、復活を果たして今も精力的に活動をしているイギー・ポップの様な幸運と強靱さを持たず、プログレッシブ・ロック創生期の中心的バンドの初期メンバーで、脱退後ソロとして気ままに音楽活動を続けているケヴィン・エアーズの様ないい加減さを持ち合わせていなかったシド・バレットは、深い精神の闇の部分で人生の半分以上を過ごし、今もそこにいるのだろう。 マスコミやファンは、もう寝た子を起こす様なことをしなくても良いと思う。 |