ジョン・フォガティ
偽南部魂
ビートルズやローリング・ストーンズがアメリカのバンドだったら、ブルースへの異常なまでの憧れは無かっただろうし、この偉大な2バンドはパッとしないまま、その活動を終えたかもしれない。憧れの対象が側に無ければ無いほど憧れは強くなり、側に居る人間よりも本格的になって行くのかもしれない。もし、ジョン・フォガティがアメリカ南部出身だったらロックの歴史はどうなっていただろう。 ヴォーカルとギターがジョン・フォガティ、リズム・ギターがジョンの兄のトム・フォガティ('91年に他界)、ベースがスチュ・クック、ドラムスがダグ・クリフォードのツアーで行くまでは南部に行った事が無かった、揃いも揃ってカリフォルニア生まれの4人で、'59年にトム・フォガティ&ザ・ブルー・ベルベッツを結成。'61年にシングル「Come On,Baby」でデビュー。シングルを3枚リリースするが、大した成果を納めないまま、レコード会社にバンド名をザ・ゴリウォグズと売れそうにもない名前に勝手に改名させられる。改名後の'65年にシングル「Don't Tell Me No Lies」で再デビュー。そこそこのローカル・ヒット飛ばすものの、このバンドも数枚のシングルをリリースしただけで終わる。このザ・ゴリウォグズ時代の全てのシングルは、'75年にリリースされたアルバム『Pre-Creedence』に収録されている。
C.C.R解散後の'73年に架空のバンド、ザ・ブルー・リッジ・レンジャース名義でコテコテのカントリーを演っている『The Blue Ridge Rangers』をリリース。'75年にはどこからどう見ても人の良い農夫がジャケットで前作とは違い黒人音楽をベースとした『John Fogerty』をリリース。このアルバムリリース後、農園経営に勤しみ音楽業界から遠退いてしまう。'85年、発売当時200万枚を売っぱらい、全米1位になった『Centerfield』をリリース。翌'86年に当時流行した音処理をし、ファンクやレゲエに挑戦した『Eye Of The Zombie』をリリースし、またもや音楽活動を休止してしまう。皆が存在を忘れていた頃の'97年『Blue Moon Swamp』をリリース。このアルバムのリリースに伴いツアーをしているが、その後これといった活動を聞かないところをみると、また農園経営に勤しんでいるのかもしれない。羨ましいほど気ままな音楽活動をしている。 本当にカリフォルニア出身かと疑いたくなるようなカントリーとブルースフレーバーがプンプン匂ってくるプレイ・スタイルは、簡単で印象的なリフとフレーズが多いが、テクニック的には余り誉められたのもではない。憧れから突っ走って行ったようなギターのトーンは中途半端に歪んでおり、お世辞にも格好良いとは言い難い。このヘナヘナの音がジョン・フォガティらしさとも言える。雰囲気で迫っており、限りなくそれっぽいというだけで、いい案配で黒人音楽と白人音楽とのミックスがされ、結局何を演ってもジョン・フォガティになってしまう。コンポーザーとしては一流で、シンプルなコード進行の中に覚えやすく耳に残るメロディを乗せた曲が何枚もシングル・チャートの上位に入ったのは納得できます。 ヴォーカリストとしては嗄れていて伸びがあり、埃っぽくて格好良いから大好きです。 実際に南部出身のスティーヴィー・レイ・ヴォーンやジョニー・ウィンターよりもコテコテなのは、やはり強い憧れからだろう。不思議な農夫だ。 |