マイク・オールドフィールド
友達の少なそうなマルチ・プレイヤー
クラッシクをロックに持ち込んだミュージシャンは多い。しかし、その大半が自己満足でクラッシックのエッセンスを取り入れ、よく使われるボイッシングを持ち込んだだけであったり、良くも悪くもクラッシクをロック的に解釈した人が多い中、マイク・オールドフィールドは、ロックをクラッシック的に解釈し、アナログ時代に片面1曲の壮大な組曲を独りで作り上げた現代音楽家と言ってもいい存在だろう。 ミュージシャンとしてのキャリアは早く、ザ・サリアンジーで'68年アルバム「Children Of The Sun」でデビューする。姉のサリーとのフォーク・デュオで、アルバム・リリース当時まだ14歳だった。ザ・サリアンジーはアルバム1枚で活動を終え、マイクはケヴィン・エアーズのバック・バンド、ザ・ホール・ワールドにベーシストとして参加。'70年に「Shooting At The Moon」がリリースされる。'72年「Whateveshebringswesing」がリリース。このアルバムではマイクはギターも弾いている。
'80年、フィル・コリンズがドラムを叩き、アバのカヴァー「Arrival」を収録した「QE2」、'82年「Five Miles Out」 、'83年「Moonlight Shadow」をリリース。'84年にこの頃のやる気の無さが全面に出ているジャケットの「Discovery」と6年振りに初期のレコーディングのようにパーカッション以外全て独りで演奏をした同名映画のサウンド・トラック「The Killing Fields」をリリースする。'85年、シングルや未発表を数多く収めたベスト盤「The Compiete」、'86年にはケヴィン・エアーズが1曲ヴォーカルとして参加をし、エアーズ自身ヴァージンとの契約のきっかけとなった「Islands」、'89年にはエイドリアン・ブリューがギターとボーカルで参加をした「Earth Moving」をリリースする。この「Earth Moving」のプロモーションで「次のアルバムはTubular Bells IIになる」と語ったために世界中が無意味に期待をした。 '90年「Amarok」をリリース。このアルバムは当初「Tubular Bells II」がタイトルを変えてリリースされたと評論家やファンの間で言われていたが、実際は「Ommadawn」の続編とわかり、世界中が肩すかしを食った。'91年「Heaven's Open」をリリース。この頃ヴァージン・グループ総帥で、20世紀最後の3大ペテン師の1人リチャード・ブラウンソンが鉄道会社欲しさに会社をEMIに売却。これを機に契約が切れ、長年望んでいたレコード会社の移籍が実現する。移籍第1弾としてヴァージンに在籍している限り死んでも作らないと言っていた「Tubular Bells II」を'92年遂にリリースする。'94年、アーサー・C・クラークの同名小説をモチーフとした「Songs Of Distant Earth」をリリース。このアルバムではキーボードとして娘のモーリーが参加している。'96年アイリッシュ・トラッドやケルト音楽をベースとしたアコースティックなアルバム「Voyager」、'98年単なるテクノになってしまって私は悲しい「Tubular Bells III」、'99年「俺はギタリストだ」と主張して止まない「Guitars」と、どエラくおめでたいジャケットの「The Millennium Bell」 をリリースしている。 他にも姉サリーやデヴィド・ベットフォードのアルバムに参加している。 デビュー当時から変わらない柔らかく伸びやかなトーンは、クラッシクと同じように右手の指でピッキングされているが、フレーズなどによってはピックを用いたりしている。ソロを弾いていても周りの音から浮くことが無く、バックの音との調和を考えてトーンを選んでいるのかもしれない。優しくて美しいメロディは、クラッシックよりも自らのルーツであるアイリッシュ・トラッドやケルト音楽から来るものの方が多いだろう。ライヴでは非常に高いレベルのテクニックで完璧なまでにスタジオでの演奏を再現している。 ケルト、クラッシック、ロックを無理なく融合させているこの人の前ではジャンルなどという言葉は無意味なものだろう。 1度生でライヴを見てみたいミュージシャンの1人です。 |